【エッセイ一日の栞】 聞こえてしまったけど気にしない

エッセイ

 仕事で私はよくお客さんと話をするために電話を使う。毎日数十本の電話を受け対応する、というのが今の仕事だ。

 コロナ禍の不安が世界中でモヤモヤと立ち込める中の就職。実に先行きの良くないスタートだ。

 4月に入社してから研修のために出勤していたが、案の定、社会人1年生は使い物にならないので研修が終わると週1,2出勤となった。コロナ感染防止対策と教えてくれる先輩たちの負担にならないようにということだっただろう。そのために日本中の方たちと同様ステイホームすることになった。

 家にいてテレビを見ていると、ステイホームをしていて気分が落ち込んでしまったというような声が上がっている、というような映像をたくさん見た。確かにずっと同じ場所にいて毎日を過ごすというのはつまらない。そして気まぐれにテレビをつけると、夕方ごろには都知事が会見して大々的にその日の感染者数を発表する。減ってきたかと思うとまた増えていたり、10万円がどうなることやらというニュースをやっていたりと気が滅入ってしまうような内容ばかりだ。私の会社の関係してくるGoToトラベルなる妖(あや)しい策もいろんな反発があり一向に政府はきっちりとした体制を整えず、東京除外でさらなる猛反発というような報道。そして感染防止のためにバラエティも過去の映像を増やしたり、タレントも家から生参加というような構成。テレビ電話で映像は乱れまくり。離れて住んでいる友人とテレビ通話しているレベルと変わらない。むしろ携帯でテレビ電話している方がきれいだといえるぐらいのものもある。通信技術ってこの程度のものだったの?と思えてくる。

 それだけでなく、人生の設計を大きく変えなくてはいけなくなった人たちもたくさんいるようだ。友人の友人はヨーロッパ留学を考えていたのにすべて”おじゃん”になってしまったという。今では少しづつビジネスや留学、中長期の滞在向けの人々は渡航が認められつつあるがそれもまだまだ限定的である。私のインドネシア人の優秀な友人は、母国で日系の金融会社に入社して2年目なのであるが、能力ゆえに大抜擢され、移籍して日本の本社に来ることになっていた。しかしこのような状況で当初よりも半年遅れての移籍になってしまったのだという。本当にコロナに左右された、いや今も私たちはまだまだコロナに左右され続けてしまっている。



 さて本題に戻るが、私の仕事の話をしたかったのである。長々とコロナの話をしてしまったが、特に関係ない。仕事で電話を取ったときのある出来事である。

 ある日お客さんに伝えなければいけないことがあり電話をかけた。そのお客さんは「The おばあちゃん」というような方で、優しげな声で電話に出てくれた。「お伝えしておかなければいけないことがございましてお電話させていただいたんですけれど、、、」と伝達事項を伝えると、少し驚いたようなさっきよりも2オクターブ低い声で「えっ」と言い、「そうですか、わかりました、、検討してみます」と応対した。30秒程度で終わる話で、その「The おばあちゃん」からは質問もこれと言ってなかったので「ありがとうございました~ご検討よろしくおねがいします~」と言って電話を置いた。客商売なので電話はお客さんが切るのを待っていると、5秒経ってもなかなか切れない。次の業務もあるので「つながっているのでお電話おかせていただきます~」と電話を切ろうとしたところ、電話の向こう側から、

「今電話かけてきたあの子、新人感あっていやだわ~なんなのほんとに。わざわざ電話かけてきて」と旦那さんと思わしき人と話してきているのが聞こえてしまった。

 旦那さんも「新人なんか~」とかなんとか言っている。私は聞こえているのが知られてしまってはまずいと思い、静かに電話を置いた。

 ほんの少しの出来事であった。なにが起こったのかと電話を切った瞬間よくわからなかった。30秒程度の電話で特にへまもしていないし、伝えないといけないことがあったので伝えただけである。なにか嫌悪感を感じさせることはあっただろうか。それまでたくさん電話で話して喉が渇いていたので家からボトルに入れて持ってきたお茶を飲みながら考えたがよくわからない。確かに声はぴちぴちの20代なので若いのは明らかにわかるのだろうが、それだけで文句を言われているとは。

 私は他人の言うことはあまり気にしないタイプなので、へっちゃらであったが、若さゆえにこんなことを言われてしまえば、若い人はどうやって「必要事項を伝える仕事」をすればいいのだろうか。こんなことを言われてしまったら同期の子たちの中では凹んで落ち込んでしまうだろう。

 若い人に電話でそんなことを言われるのが嫌であればこちらとしても楽なので他の伝え方もできるだろうが、おじいちゃんおばあちゃんではメールやインターネットなど疎くて説明してもわからないという人が実体験としても多い。そうすればそうでまた文句を言われる。なんと困ったものだろうか。

 京都で過ごした大学生活で若い私たちにも積極的にかかわってきてくれたおじいちゃんおばあちゃんが多かったので私はそういった「若いゆえの洗礼」を受けることはなかったのだが、社会に出てみると本当によく出会う。これが社会なのか。若者よりも老人が多い日本。若者がマイノリティとなり侮辱を受ける日本社会。「若者は希望」であるというのはよく言ってくれているが社会の中でも政治の中でもそんなことはほとんど感じたことはない。

 若いというのは罪である。

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