【エッセイ一日の栞】インドネシアで過ごした平日午後

エッセイ



  午後3時半。仕事が終わり、おしゃべりを楽しんだ後、真っ赤に塗装されたワゴン車に乗り込む。私がいつも座るのは助手席。後ろの席は、より多くの人が座れるようにコの字型に座席が配置されているところには、生徒たちが乗り込む。現地語のミナン語で話す彼らは学校が終わって家に帰れるからであろうかどんどんトーンが上がっていく。眼鏡をかけた頭のいい生徒は後ろの席から「せんせい~今日は何するの」と日本語で話しかけてくれる。「カフェに行きます。○○君はどうするの」。「勉強します、せんせい」ごめんよ、先生がエンジョイしてしまって。でも日本の夕方とは違ってワクワクするんだよ。なんて言ったって午後の時間が長いからやりたいことが何でもできる。先生にとっては一番好きな時間なんだよ。日本の仕事はだいたいフルタイムで働いて会社を出たら暗くなってるからね。インドネシアでの午後は無限大の可能性を感じるんだ。

 2019年9月23日~2020年3月24日の約半年間、私はインドネシアで生活していた。インドネシアで何をしていたかって?今の日本でいうと英語の授業の時間にたまーに来てくれるネイティブのALTの先生。それの日本語バージョンである。その仕事をしていた半年間は、完全にそちらに生活拠点を移し、現地の公立高校と私立高校2校で日本語教師のサポート業務を行う活動をしていた。

 

 仕事が終わるのは午後3時半。日によっては授業の時間割の関係で1時頃に帰れることもしばしば。日本の先生はあくせく働いているイメージがあるがこちらの先生は常に余裕をもって働いている。私の実家の近所にある私の母校の小学校では19時を過ぎても煌々と明かりが輝いている。いや、輝いているってほどいいもんじゃない。鈍く光っているといった方が的確かもしれない。とにかくいい匂いはしない。

 インドネシアの私が勤めていた学校は朝7時半から始まり、最後の授業は午後3時半まで。朝がなぜこんなに早いのかというと、インドネシアはムスリムが多く住む国であり、世界でも最大のムスリム人口であるが故である。朝のお祈りがだいたい5時台で、そこから一日の生活が始まるからだ。私はそんなに早く起きられなかったので出発45分前の朝6時に毎朝起きていた。6時ではあたりは薄暗く、私が日本でディズニーランドに開園前に並ぶときに起きるときと同レベルの暗さであった。だが、やはり朝早起きすることはやはり気持ちいいもので、一日が相当長く感じる。



 私は大学4回生(この呼称は出身がばれてしまうかな?)の後半を使ってこの仕事をしていた。この仕事については他の記事で紹介するが、日本語パートナーズという公的なプログラムである。このプログラムに応募するとき私はまだ大学3回生で、どうしてもいきたいからとゼミの先生に懇願し、推薦書まで書いていただいた。ゼミの先生のみならず親やバイト先にも無理を言ってこれに行かせてもらった。大学4回生の6月になると、就活を始め、ほとんどのの会社ではなんだそれといって険しい顔をされたが、今私が働く旅行会社では最終面接で社長にはぜひ良い経験をしてくださいと背中を押してもらえ、内定までいただいた。こんな落ち着きのない人をよく雇ってもらえたものだと今になってとても思うが感謝しかない。そしてなによりパートナーは半年も海外に行くことをもっとも嫌がっていたがしぶしぶOKを出してくれた。本当に理解のある方々に見守っていただき出発をすることができた。

 話がそれてしまったが、つまり私は大学4回生の時に行っていたので、大学生活の締めくくりともいえる卒業論文をこの仕事と並行してしなければならなかった。なかなか大変な作業ではあるが、先生たちも私が論文を書きながら仕事をしていることを知ると早く帰っていいよ!といってくれ、一日に3時間は余裕で論文に取り組む時間があった。なんともありがたいことか。ということで、私はインドネシアの夕方を満喫する余裕もあったのである。

 インドネシアの夕方は最高である。私は西スマトラ州のブキティンギというところに住んでいた。ここは日本人に説明するときは「スマトラ地震があったところだよ」と説明するとわかってもらえるのでいつもそのように説明しているが、実は日本と密接なかかわりがある町である。ぜひ調べてみてほしい。(長くなるので(笑))ここはインドネシア国内でも有名な観光地であるため観光客向けのカフェやレストランが多い。街を歩いていると、ヨーロッパの人々も多く見える。私は日本ではカフェなんて行かないのだがここではほとんど毎日カフェでコーヒーを買う生活を送っていた。なんてリア充なんだ。

 平日午後は論文執筆をしながらコーヒーを飲む。そのおかげで毎日論文がはかどっていた。論文を真剣に書いていると聞こえてくるアザーン。お祈りの合図である。これが最初はうるさかったのだが、1カ月するとなんともなくなり2か月目には心地よさすら覚える。論文執筆のための文献を読みながらねてしまった時にこれが聞こえてくるとどこか違う世界へ送り出される感じもあった。○○君も私と同様勉強しているのかなあなんて思いながらアザーンを聞く。

 平日午後は論文が進んだ。日本の大学生、インドネシアで論文書いたらはかどります。おすすめです。

 ここまでブログを書いて気が付いた。インドネシアの平日午後は論文だけじゃないや。いっぱい遊びもしました。次は平日午後の遊んだ記憶も掘り起こしたいと思います。

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